歴史めぐりを楽しむ

国東半島 熊野磨崖仏

歴史めぐり

国東半島 仏の里、富貴寺、真水大堂、熊野磨崖仏など。

宇佐神宮や、城下町・杵築中津(福沢諭吉ゆかりの地)、耶馬溪など。

日田 小京都豆田町や、小鹿田焼。

竹田 荒城の月を作曲した瀧廉太郎記念館。

 

速見エコビレッジのある日出町(ひじまち)は、偉大な学者、帆足万里(ほあしばんり)生誕の地であり、財政改革、研究、教育に力を注いだ帆足万里の足跡をたどることができます。

国東半島

仏の里 神仏と鬼の山 歴史探訪

古代以来より、六郷満山と呼ばれ、寺院集合体による、独特の仏教文化が花開していた。

六郷満山は、古代より六郷山と呼ばれ、国東郡六郷・来縄(なわ)・伊美(いみ)・安岐(あき)・武蔵田染(むさしたしぶ)地域に点在する。

100を越える大小の天台系山岳寺院集合体である。

 

六郷満山の縁起

宇佐八幡託宣集などでは、奈良時代養老2年812年仁聞菩薩(にんもんぼさつ)によって開かれた。

 

弥勒寺(みろくじ)の初代別当に任ぜられた法蓮(ほうれん)などの巫僧集団と密接な関係を持っていた。仁聞(にんもん)は八幡神の化身といわれ、今も六郷満山の寺々では、奥の院にあたる六所権現(ろくしょごんげん)宇佐八幡の神々が祀られており、六郷満山が宇佐八幡と密接な関係をもって成立したことは間違いないところである。

 

しかし、歴史研究家によれば、八幡仏教が国東に移るのは9世紀に入ってからであると思われる。

 

平安時代中期以前までの六郷山に関する歴史は伝承の世界域を出ない。

天台六郷の成立

平安時代後期になると、六郷山も伝承の世界から具体的な姿を見せはじめる。

11世紀後期から12世紀、六郷満山で最もすぐれた仏教遺物が数多く見られる。

これから先は、ご自分でご探訪下さい。

 

国東の根っこに位置する、速見エコビレッジは歴史を感じさせるところです。